報酬に関して今まで言われたこと。w
「何故 無料なの?」「いくらか言って 払うよ」「無料を維持してください」「貰ってくれなければ 頼めない」「ほんとにホウレンソウとかお米でいいの?」
極め付けは「お金を受け取らないって アンタ!私の何を狙っているの?」と詐欺師呼ばわりw
さて本題w
たまに報酬に関してのメールとか問い合わせがあります。
前から気になっていたので今回の記事になります。
ヒーリングを依頼する方も される方もそれぞれの金品の価値観のもとでやりとりが行われます。
その上で 心身の改善が出来 依頼者が 「こりゃええなぁ」と実感されたら それはそれで良いことでしょう。
私の場合 お金が絡むと どうも依頼者に対して純粋になる自信はありません。
緩和してあげたいという純粋さとある種の思いが混ざり合い そのことによって有効な物理作用を醸し出しているとしか思えないんですね。
(他の原理を知っておられる方はよろしければ連絡をください。お待ちしています。)
今までで2人を除く全ての方に この感覚を持って挑んだと言えます。
金品のやりとりがあると 無意識にそれを当てにしての緩和行為が想定できます。
一般常識の対価と報酬の世界になってしまい 無償で与えるということにはならない訳です。
私の場合 その世界に入っての緩和行為では満足がいく結果が得ることに自信がありません。
う~ん 金品のやりとりがあっても セラピスト側の緩和が出来るべく純粋さが維持できればOKなんじゃないでしょうか?
その場合 少額か寄付任意が望ましいのかも知れませんね。
私の場合 こちらから請求することはあり得ません。寄付任意とだけブログにも表示してあります。
(ちなみに 過去2年間での寄付合計 約29000円+野菜どっさり+米18kgを頂きました)
ただ 遠方であるなら交通費だけは負担して頂いています。
私が 無料で「ヒーリングタッチ=手あて緩和」をする理由に
誰からも習ったものではないので 授業料らしきものも払ってないことがあります。
私の前身は流通業でしたから理解できるのですが 授業料などにコストをかけた方は無料で行なうことが 難しいかもしれません。
いつもの余談になるかもですが 根幹の部分です。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ風ニモ・・・一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲ食ベ」の詩が大好きです。
そこに”詠われている人生観で生きたい”を目標にしているせいかもしれません。
「雨にも負けず」
雨にも負けず風にも負けず雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫なからだをもち
慾はなく決して怒らずいつも静かに笑っている
一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずによく見聞きし分かりそして忘れず
野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば行って看病してやり
西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい
(宮沢賢治の著作は、著作権が切れているため全文掲載)
んじゃぁねw